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道州制 地方自治って [広島]

子供のころおこずかい制でしたか?月にいくらか決まった額で、誕生日とか成績が上がるとプレゼントとかおこずかいの増額があったり、さらにお年玉とか・・・高額な欲しいものがあると親に買ってとせがんでみたり・・・けれどアルバイトとか就職で働いて得たお金だと本当に必要なのか、買うなら最少の費用で良いものを買おうとか、将来に備えて貯蓄とかを考えてお金を使うようになる。

高校の政経の教科書に「3割自治」なんて言葉があった。自治体は3割しか主体的な自治を行っていないということと理解している。残り7割は国から移管された業務だとか、道路とか多額の事業を行おうとすると国の補助金を求めたりとか、自治体首長の主な仕事は国への陳情だったりする。ちょっと知恵があれば必要以上の事業を取ってこようとしたり、今では逆に自治体が最小限の費用で事業を行おうとすると一定以上の規格でないと補助しないという事例すらあるようだ。これではまさに親と子供のおこずかい制のようなもので、子供の自立を促さないで親の権限を振り回しているようなもの。

一方、高校の教科書で「地方自治は民主主義の学校」という言葉があったと記憶している。住民自らが考え、決定し、行い、結果の責任をとる。諫早湾干拓事業が問題になったことがある。もしこの事業がすべて自治体の自主財源で行われていたのなら、住民たちは本当に干拓が必要なのか?必要ならこの事業が環境にどのような影響を与えるか、それによってどんなリスクを負うことになるのか?環境に影響がないとして、この事業をどうやって最少の費用で最大の効果を得ることができるかを十分に検討していただろう。十分に検討したにもかかわらず、漁業被害が出た場合どうするか・・・と住民たちは学習していくに違いない。今回の諫早湾干拓事業は結局、干拓地が必要であったわけではなく親からのおこずかい「干拓事業」が必要なだけであったのではないだろうか?

では「国からの権限」の多数が自治体に移譲されたとしよう。その受け皿が「県」では無理があるし、無駄も出る。今でもそうだがすべての県が「国際空港」を作りかねない。いまや、交通や通信が進歩し、県が作られた明治時代からすればその規模は相対的に小さくなっている。ならば県の合併を行い国からの権限の移譲の受け皿を「州」にするべきではないだろうか?

道州制.com
http://www.doshusei.com/

単なる「県」の合併ではない。住民自らが考え、決定し、行い、結果の責任をとる本来の意味での「自治体」「100%自治」を勝ち取るべきではないだろうか?
一方、小泉さんたちは「小さな政府」を目指している。これは正しいことだと思う。かたや「小さな政府」は福祉切捨てとか、弱者切捨てとかと言われている。そうなのかもしれない。ならばやはり「小さな中央政府、大きな地方政府」=「道州制」を目指すべきじゃないだろうか?

いま、広島県知事選を通して「州都」について、岡山県との駆け引きもされているようだ。

http://www.chugoku-np.co.jp/senkyo/05kenchiji/yoron/yoron2.html
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200510150013.html
http://www.chugoku-np.co.jp/senkyo/kenchiji/01/kadai/ka06.html

中四国州とし、四国とのつながりがある岡山を「州都」とする案。
四国とのつながりが弱い広島はそれでは不利になるとして中国州とし広島を「州都」とする案。

実際問題そんな駆け引きをしてるようでは「州」になる資格がないのではないかと思ってしまう。地域エゴでしかない。しかし、中国と四国がひとつにならなければ、双方が最小=最弱の「州」になってしまう。また、広島から見ると四国は経済的に「関西」に向かっているような気もするがどうなのだろう?地方自治が民主主義の学校ならば「州」になることの意義を周知し議論し合い、世論を高め、最終的にどこにするかを住民が決定すべきではないだろうか。
(ウ~ん、今回はカタイ(^^ゞ)


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